なぜ私は海外で編集者をしているのか、ここまでの道のりを整理してみた

ニーハオ、台湾からYokoです。

今日、少し年下の友だちの進路相談に乗りました。今の自分の仕事に自信がなくなっている所、新しい仕事のオファーがあったそう。彼女は自分が何をすべきなのか、分からなくなっていました。そこで私のこれまでのキャリアとここに至るまでの過程を話すことに。私のように無計画で導かれるままに歩く生き方もあるんだと、話を聞き終わったあと、彼女は少し元気を取り戻した様子でした。そこで、悩めるアラサーな女性の少しでも役に立てればと願い、色々半端なことをやってきたけど、今好きなことを思う存分できている私の道のりを紹介します。

クリエイターになりたくてキャリアを散らかした女の子の物語

京都で出版社に就職する

私は新卒で京都の小さな出版社に就職をしました。数年出版社で働いた後、映画館で働いたり(映画がただで見れるから)、アイリッシュパブでバイト(英語を話したかったから)をしたり、不動産屋の事務(単純に事務職に憧れたから)をしたり、漢方薬局でカウンセラーとメディア運営(ヘッドハンティングされた)をしました。そのときどきで自分が興味を持ったこと、やりたいことに挑戦してみるといったキャリア的には散らかしまくった20代でした。京都の町並み

台湾に無計画に引っ越してみる

そして30歳の時、台湾に引っ越しました。そこから1年半ほど語学学校に行きながら、フリーのライター・編集者として働き始めました。きっかけはHereNowというWEBメディアがバイトをしていたジーンズショップを掲載したことでした。そこで、そのWEBメディアが台湾現地の日本人ライターを募集していることを知ったのです。すぐにメールを送り、そこからはトントンと縁があって、HereNowで文章を書くようになりました。

書いた文章を自分のフェイスブックにUPをしていると、香港の友だちが香港のデパートのPRをしない?と誘ってくれました。中国語ができる日本人ライターを探しているとのこと。基本的に香港側で用意されたPR文章を翻訳し、適切なメディアに投下していくという仕事でした。この仕事は年に一度のプロジェクトですが、昨年に引き続き今年も担当しています。その後も翻訳の仕事を香港の友だちからちょくちょくもらうようになりました。

そしていまはメインでPinkoiという、デザイナーズマーケットを運営している台湾企業のオウンドメディアの日本語版・編集長をしています。これはHereNowで知り合ったディレクターさんの友だちからの紹介でした。ここではメディアの毎月の企画、執筆、時には撮影、編集そして分析全てを担当しています。今まで散らかしてきたキャリアと経験を集約した仕事ができていると思います。

マガジン

Pinkoiマガジンでは素敵なデザイン・ライフスタイルなど、様々なトピックが毎月更新されます。デザイナーの投稿をお待ちしております!

その他にも…日台カルチャーを取り扱うWEBメディアの立ち上げを副編集長として準備中。
あとは細々した台湾でのアテンド業務。

などなどをして生計を立てています。

やっぱり書くのが好きだし、読み物を作ることが好き

大学を卒業して、初めての仕事が編集者、きつくってきつくて逃げるようにしてやめた仕事。いつの間にか振り出しに戻ってきてしまいました。まさか、もう一度自分がメディア業に舞い戻るなんて、思いもしませんでした。しかし、海外に住んで自分がここできるコトは何だろう、ここで生きているって実感できるコトってなんだろう。フワフワ考えたり考えなかったり、その時その時楽しそうなことを選んでいると、結局編集者になっていました。

私はカルチャーやアートが好きです。でもこの「好き」は一般レベルの好きであって、専門家のように語れることはほとんどありません。でも、色々食べ散らかしてきた「私」しかない視点があると信じて仕事をしています。サブカル界のエモい人に憧れつつも、輪の中に入りたいと思いつつも、入りそびれた人。そんな人に共感してもらえるコンテンツが創れたらいいなと思います。

そして30歳を過ぎ、無計画で台湾に来て、それなりに自分のやりたいことをやれている私。海外でのびのび仕事をする日本人が一人でも増えればいいな。国境というボーダーをもっとゆるやかに、世界を軽やかに生きていく人を応援できるような仕事をもっとしたいと思っています。

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