「タダ働きは信用を生む」に対する疑問

最近では「信用」という新しい価値基準が台頭してきている。

従来、人の価値を作り出してきた「金銭や社会的地位の高さ」ではなく、「信用力」が力を持つらしい。今年に入り「お金の価値が今後下がり、個人の信用という価値が上がり続けるだろう」という意見をよく耳にする。

 

そんな新しい価値観の元で、率先してするべきと言われているのが

1)「自分が好きなものを本気で発信する」
2)「ボランティア活動(無償の奉仕)によって信用を作る」

の2点ではないか。

自分が好きなことを思いっきり外に向かって発信していくことに対して、私も異論はない。どんなニッチな分野であっても、その分野で有名になれば仕事は生まれる時代。実際に最初からお金を儲けようと考えていたわけではなく、単純に趣味として、純粋に好きだからと発信をし続けた結果、趣味が本業になったという人は、今とても多い。

 

 

「ボランティア活動(無償の奉仕)によって信用を作る」に息苦しさを感じるわけ

2点目のボランティア活動を受け入れろという提言。「信用」を作る上で、最初からお金のやり取りをすることは確かに美しくはない。金銭が介入しないボランティア活動だからこそ、この人は信じられるという信用の醸造が起きるのも理解できる。ただ、この無償奉仕は自ら当人が望んだ場合のみ、許されるべきではないのかなって。

私は、翻訳、ライター、編集業で日々お家を借りて、服を買って、ご飯を食べている。そして、3年前に自らの意思で移住した台湾でのネットワークの中で、コツコツと試行錯誤を繰り返しながら、今の仕事を手にした。

だから、基本的に自分から「これ、やります!」と決めたこと以外は、友人であっても翻訳やライティングの仕事を受けるときは報酬をいただくようにしている。そうではないと、私も無償奉仕ということでアウトプットの品質が落ちてしまうと感じるから。そして、ここまで来るまでも積み重ねてきた自分の「小さな頑張り」たちに敬意を払いたいから。

だからこそ、「友達だから」「◎◎さんの知り合いだから」「△△のついでに」などの無償奉仕はできる限り断っている。中には冷たい、友人の間でお金の話をするべきではない、守銭奴など声を上げる人もいるかもしれない。でも親しき仲だからこそ、自分の時間とこれまでの積み重ねを理解してほしいと願っているのだ。

 

そして私は、たとえ相手が未経験者でも、会ったことがない人でも、自分の友だちでも、その人の持つスキルと時間を使った仕事を依頼をするときは、必ず報酬を渡すことにしている。額は全然多くない、本当にちっぽけなお礼。それでも報酬を渡すことは「依頼をした人の義務」だと思っているから。そして依頼を受けてくれた人と信頼関係を、今後築いていきたいからだ。

 

 

怖いけど、過去と未来の自分のために断るんだ

時々目にする「友達だから、お願い…。」
という場面。
大声を出して頼める人は強い。けど…

信用経済という新しい枠組みの中で、負担に感じながらも断ることができない人も多いのではないか。

自分が生み出すアウトプットの価値は、自分で決めてみる。自分で「好き」を感じない依頼には、きちんと報酬をもらう。無理をして信用経済の中で消耗する必要はないと思う。誰もが消耗されるのではなく、自分の価値をみんなに認めてもらえる世の中になれば、いいのにな。こんなことを、日本にいた2ヶ月間感じたのでしたー。

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